戦場カメラマン、フォトジャーナリストとして、その名を世の中に知らしめた渡部陽一さん。
渡部さんは、主にイスラム圏(イラク)アフリカなどを得意地域とされていますが、危機迫る戦場が舞台となった写真を予想していたものの、『文化人・芸能人の多才な美術展』では柔らく温かみのある作品「母のぬくもり」をご出品いただきました。この写真にまつわるカメラマンとしての思いをお聞きすることで、渡部さんの魅力をご紹介します。
Q1.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
この度は、『文化人・芸能人の多才な美術展』にご出品いただき、誠にありがとうございます。
早速ですが、今回の美術展の趣旨でもある「東日本大震災救済応援特別チャリティー企画」に関連し、東北太平洋沖地震についてお伺いいたします。渡部さんは、既に被災地にも行かれたのでしょうか?また、現地を訪れた結果、渡部さんはどのようなことをお感じになられましたか?
A1.渡部陽一さん
世界では戦場以外でも地震や津波の現場に何度も遭遇したことがあります。
そこでは自然災害という人間の想いや力を超えてしまった悲しい現実がありましたね。
今回の東日本大震災も直ぐに現場へ行きましたが、すべてが津波で飲み込まれてしまっており、言葉を失いました。
世界でも見たことのない惨状がひろがっていたんです…
その時、カメラマンとして自分自身にできること、それは現場に立ち、世界中の方々に、東北の方々の声をとどけること、自分自身にできることを一つ一つ動いていきたいと思いました。
Q2.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
次に今回ご出品いただいた「母のぬくもり」についてお伺いいたします。
冒頭でも話題にしましたが、この「母のぬくもり」は、とても優しい写真で、鑑賞する人の心を癒してくれる作品だと感じました。この写真は、いつ、どこで、撮影されたものなのでしょうか?また、何故この写真を撮影されたのか、その経緯などについて教えていただけますか。
A2.渡部陽一さん
2003年5月に撮影した写真であります。当時イラクでは戦争が終わったばかりで、国内では激しき混乱が続いていました。
戦場を見続けてきて、戦争の犠牲者はいつも子供たちであることに胸がしめつけられる思いです。この写真の母親が危機に瀕する娘を抱きかかえている姿をみたときに、イラクからの悲しい声がきこえてきました。だからこそ戦時下の家族の姿を追いかけたいと思ったのです。
Q3.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
渡部さんは数多くの写真を撮影されていることと思いますが、今回「母のぬくもり」を1点選んでいただいた理由を教えてください。また、次回も同美術展にご参加いただければと思いますが、次はどのような作品をご出品されてみたいとお考えでしょうか?
A3.渡部陽一さん
私は戦場という悲しい現状で暮らしている家族を撮影することに力を注いできました。
戦時下の一つ屋根の下、両親のもとで暮らしている子供たちの笑顔の写真を見ていただきたいです。戦場でもそこには家族みんなの満面の笑みがありました。
Q4.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
今後の渡部さんのご活動についてお伺いします。
年内に撮影してみたい場所、また新しくチャレンジしてみたいことなど、現時点で渡部さんがご計画されていることや、お考えになられていること(予定なども含む)などを教えてください。
A4.渡部陽一さん
戦場であった場所が、たくさんの方々の力で復興を果たした国々を撮影したいです。
アフガニスタンの学校再建の現場や生まれて初めて学校に通えるようになったアフリカの森の中の子供たちの日常など、学校を柱に子供たちの時間を追いかけたいですね。
Q5.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
最後に、渡辺さんの作品をご覧になる方々に向けて一言お願いします。
A5.渡部陽一さん
世界では信じられないことがたくさん起こっています。日本でも東日本大地震という想像を超えてしまう悲しい事件が起きましたし、たくさんの方々が想い感じ助け合うことの大切さに胸が震えました。世界中の国々の方々がお互いを知ることのできるきっかけとなる写真を丁寧に日々撮影し続けていきたいです。また皆様の目に、世界の子供たちの声をお届けできます日を楽しみにしております。
渡部陽一プロフィール
本名:渡部 陽一
出身地:静岡県 富士市
生年月日:1972年9月1日
学歴:明治学院大学 法学部 法律学科卒業
血液型:A型
ジャンル別作品:
テレビ:CX「とくダネ!」
NHK「ディープピープル」
MBS「世界の村がアリガトウ 命を救うニッポン人!」
TX「ワールドビジネスサテライト」
NTV「NEWS ZERO」
著書:世界は危険で面白い