『文化人・芸能人の多才な美術展』出品者の声
■元宿仁さん
いかなる時代においても、自分を育んでくれた郷土は、思いや情とともに深く心に刻まれているものではないでしょうか。
「文化人・芸能人の多才な美術展」に13年間出品していただいている自由民主党本部事務総長の元宿仁さんは、そうした郷土愛に満ちた風景を油彩画で描いており、日曜画家から伝統的な美術団体として知られている「画壇」にデビューしたプロの作家です。
今回の作品は、初めて100号の大作となる「ふる里の春」に挑んでいます。
また、当美術展の開催では、日本がさらに国際的にも評価される国であってほしいという願いから「絶大なる影響力と愛」としており、このテーマにも合致した素晴らしい
作品となりますので、元宿仁さんに出品作についてお話を伺ってみました。
Q1.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
この度は、第21回『文化人・芸能人の多才な美術展』2020にご出品いただき、誠にありがとうございます。
最初に作品の題材となっている風景について質問させていただきます。
作品を描かれる時は、どのようにして場所やテーマを決められているのでしょうか?
また、風景を描かれる時に、特に注意されていることなどもあれば、併せて教えていただければと思います。
A1.元宿仁さん
私は毎晩、童謡を聞きながら休んでいるのですが、童謡を聞いていると昔のふる里の風景が走馬灯のように思い起こされて、その風景にしばし思いを巡らせます。そういった情景の中からこの風景を描きたいという思いが湧き上がってきたものを描いています。
生まれてから高校時代まで育ったふる里にはたくさんの思い出があります。楽しい思い出もあればもちろん苦しい思い出だってある。でも、なるべく楽しかった思い出を描きたいという気持ちがあり、そうすると描く絵は決まって家族やふる里の山になってきます。
Q2.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
次に、今回の美術展の出品作である「ふる里の春」についてお聞きします。
本作を拝見していると、ふる里がない人でも、日本の素晴らしさを再認識し、日本人として生まれた事を幸せに思わせて頂けるとても不思議な作品です。
このふる里とは、どの場所を描かれた作品なのでしょうか。
その土地にまつわる環境や四季などについても教えて下さい。
また、今回は100号の大作となり、かなりの力量が無いと描き切れない作品ですが、制作にはどのくらいの時間がかかっているのでしょか。
A2.元宿仁さん
この絵の舞台は私の生まれ育った群馬県の川場村です。高校三年間、毎日眺めていた砂利道の通学路からみた景色で、あまりにも見慣れた原風景が今でも目に焼き付いています。
川場村は沼田盆地の一角、標高600mの場所にあるので、盆地といえども夏は日中こそ暑いのですが、朝晩は涼しく過ごし易い場所です。しかし冬は大変です。地元の人からは"武尊おろし“と呼ばれる乾燥した冷たい北風が吹きつけ、寒いこと寒いこと。それでも季節の移ろいと共にその北風がいつしか南風に変わり、その暖かな風が草木に花を咲かせ山に青々とした若葉を芽吹かせていくのです。春の訪れに人々の心も自然と明るくなっていったものでした。
この絵は本来ならば3ヶ月から半年ほどが必要な絵だったと思います。しかし仕事をしながらの多忙な日々の中でその時間を確保するのは到底無理な話で、何とか折り合いをつけて夏休みを10日間頂き、外界を遮断して1日5時間と決めてその時間に集中して描き上げました。童心に返って中学•高校生の時代にタイムスリップし、大切な仲間との思い出やガタガタの砂利道だった通学路を毎日必死に自転車を漕いで通い続けた記憶が100号の絵を一気に描き上げる原動力になったと思います。
Q3.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
「ふる里の春」は、山と空の美しさも雄大ですが、畑の色彩も独特なものがあり、色彩をつくる時どのような気持ちで色を重ねているのか教えて下さい。
また、作品は風景であっても、必ずどこか人が生活を営んでいるぬくもりや日本の風景に情の様なものを描かれているような気持ちが致します。描くときは、そのような事をお考えになっているのでしょうか。
A3.元宿仁さん
私は自分の感性を信じ、キャンバスの上で直接絵の具を混ぜて色を作って絵を描きます。ただ、1番好きな色があります。それはマリンブルーです。この色には人の気持ちを落ち着け、安心感を与える力があると思うからです。そして何より清い色だと思う。この色を使う事で絵を見て頂く方はもちろん、描いている私自身も癒されていると感じることがあります。
この絵には半世紀以上も昔、農作業をする今は亡き父母と、またよく見ると画面中央下に元気に尻尾を振って両親に駆け寄る犬を二頭描きました。ひたむきに農作業をする父と、そんな父を気遣い、母自身も農作業をしながらも頃合をみては水筒代わりの一升瓶に水を汲んで父に届けている場面です。母の優しさや家族のために懸命に生きた両親の姿をこの絵に描き留めたいと思いました。また、両親が犬を好きだった事もあり、犬を描こうと思いつきましたが、この犬のモデルは実は私が今現在、自宅で飼っている二頭のミニチュアダックスフンドです。今は鬼籍に入った両親と今日も家に帰れば私を迎えてくれる2頭の犬を描くことで、私は絵の中の時系列を敢えてあべこべにしてしまいました。変わらずにいてくれたふる里の風景が、描いた二頭の犬を通して、今この時を生きる私と亡き父母とを、時を超えて再びめぐり合わせてくれたように思うのです。
Q4.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
「ふる里の春」の制作で、苦労されたことや、エピソードについてお願いします。
また、当美術展の来場者に、見ていただきたいポイントもあればお知らせください。
A4.元宿仁さん
先ほどもお話ししたように、私は寝る時に聞いている童謡が思い起こさせてくれるふる里の風景を描くのですが、ある時、たまたま3年間毎日眺めていた高校通学時の原風景を思い出したことがありました。なぜかその風景が気になってしまい後日、帰省した折にその場所を訪ねてみたのです。そしたら「国破れて山河あり」ではありませんが、当時の風景がそのままに残っていて。学生時代の思い出が鮮烈に蘇ってきましました。この絵は、私がまだ若かりし学生時代に気持ちをタイムスリップできたからこそ描き上げられたのだと思います。
見ていただいた方が、それぞれの立場で感想を持って頂ければ良いと思っています。都会で育った方は「きれいな絵だな」と思ってもらえるかもしれないし、私のように昔の田舎で育った人が幼いころの素直な気持ちや自分の原点を思い出すきっかけになればな、とは思います。懐かしい思い出やほろ苦い思い出、今は亡き両親に親孝行をし損なったな、とか。暖かい思いだけではなく、心のどこかに引っかかっている後悔なんかに気が付くきっかけになるかもしれません。いずれにしても、この絵がいろいろな思い出を呼び起こすきっかけになれたらうれしいです。
Q5.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会
今年の『文化人・芸能人の多才な美術展』2020 のテーマですが、2020 年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されることを見据え、日本がさらに国際的にも評価される国であってほしいという願いから「絶大なる影響力と愛」をテーマとして開催することになりました。
当美術展の趣旨やテーマについて、元宿仁さんに共感していただいたことなど、コメントしていただけると幸いです。
A5. 元宿仁さん
チャリティ企画の美術展ということで、一人でも多くの方の助けになればと思い、毎年絵を仕上げて出品させて頂いております。混迷を極める世界の中で、文化・芸術が人々の相互理解を促進し、より良い未来をつくり上げるための一助となることを願っています。本美術展のますますのご発展をご祈念申し上げております。
■元宿仁さん プロフィール
昭和20(1945)年8月、群馬県利根郡川場村に生まれる。群馬県立 沼田高校卒業後、上京して法政大学と駒澤大学に学ぶ。卒業後、昭和43(1968)年4月に自由民主党本部事務局員となり現在に至る。平成16 (2004)年5月ふる里川場村を舞台とした自伝「山里のガキ大将」を出版。 続いて、平成21(2009)年7月画文集「ふる里」を出版。日本ペンクラブ 会員。日曜画家として始めた趣味の絵画は、子供のころ父親から与えられた「上毛かるた」にその原点がある。そこには、ふる里群馬の美しい山河 が描かれていた。 私の好きな上毛三山は、「裾野は長し赤城山」「登る榛名のキャンプ村」「紅葉に映える妙義山」と詠われ、「つる舞う形の群馬県」の絵札は一羽の丹頂鶴が舞い降りる姿を群馬の象徴として描かれている。戦後間もない頃、まだ家庭にはテレビやゲーム機もない時代、貧しくとも 家庭にはいっぱい笑いがあり、みんなで助け合って生きている姿があった。心の奥底に「上毛かるた」から培われた想いは今もなお生き続けている。だからふる里に帰ると、いつもその時代に気持ちがタイムスリップし、いつのまにか絵筆を握り、ごく当たり前に絵の中に心が溶け込んで、明日への力が満ちてくる。私にとって「ふる里は近きにありて思うもの」で ある。ふる里の山河に感謝。