『文化人・芸能人の多才な美術展』出品者の声

■宮嶋茂樹さん

Q1.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会

最初に、当美術展へご参加いただき、誠にありがとうございます。当美術展は、文化財保護・救済活動支援チャリティーを趣旨とし、今年のテーマは「顔は人生のキャンバス」 としました。こうした趣旨やテーマについて、どのようなご意見をお持ちでしょうか。

A1. 宮嶋茂樹さん

コロナ禍でマスク生活をする現代の人々にとって、最も興味深いテーマだと思います。私の職業であるカメラマンの立場からすると、人物が被写体になることが多いので、 ここ数年は「表情が読めないマスク姿」というのが受難の年でした。
そうしたコロナウイルスの感染が全世界で猛威を振るうなか、今年の3月から6月までの2ヶ月以上ウクライナに滞在していました。今もロシア軍に祖国が脅かされているウクライナでは、コロナ禍よりロシア軍の攻撃のほうがよほど脅威であり、現地ではマスク姿の人はほとんど見かけません。そんな恐怖と悲しみ、憎しみに満ちた地でも時折見せるユーモアあふれる表情がありました。 今回のテーマを伺ったとき、そうした人々の顔が浮かびました。

Q2.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会

続いて、出品作品について、制作のエピソードをお話ください。作品へのこだわり、制作上で苦労した点などの説明をお願いします。

A2. 宮嶋茂樹さん

ポーランド国境に近い西部のリビウ市、ロシア軍による戦争犯罪が行われたブチャ市、今でも砲撃が収まらないハリキウ市で撮影した3点の写真を出品しました。
前線には3日しか身を置きませんでしたが、撮影時のエピソードとしては、ブチャ市でのことです。ロシア軍の侵攻直後の3月の首都キーウ近郊では激戦が続き、 特にブチャではその直後、目を覆いたくなるロシア軍による戦争犯罪が明らかになりました。そうした現場でも当初日本の新聞記者は1人もおらず、日本人写真家は私だけです。パソコンやスマホのモニター画面の動画からは伝わらない、銀塩プリントならではの描写性や質感からウクライナの人々の顔に現れた、悲しみ、怒りをその目で感じ取っていただきたいです。

Q3.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会

当美術展にご参加いただいた想い、期待していることなどをお話いただけますか。

A3. 宮嶋茂樹さん

本作品を通じて、鑑賞する方々一人ひとりに、「戦地で何が起きているのか」を読み取っていただければ出展者として望外の喜びです。
「無関心こそ最大の敵」と信じ、ウクライナの人々とその心情をずっと共有していただきたい。そして、ウクライナからいや地球上から殺戮が無くなることを祈願してほしいです。
ただ祈るだけでは平和な世界は訪れません。またこちらが平和を望んでも相手にはそれが通じないのは今のウクライナを見ても明らかです。それなら、どうすれば、戦にまきこまれないのか、そのために何ができるか、ともに考えていきましょう。

Q4.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会

今後も当美術展に参加していただきたいと思っていますが、もしも次に出品するならどんな作品を公開していただけますか。もしくは、どんな作品制作にチャレンジしてみたいとお考えでしょうか。

A4. 宮嶋茂樹さん

実は50歳になったら引退すると公言していました。
それから10年以上たっても紛争地に足を運び続けています。現地では何度も仕事をやめようと考えてましたが、今の自分にもやれることがあると信じ続けてきました。ただこのウクライナの戦いを最後にしたい。
そして、この侵略戦争の結末をしっかり見届けたい。再び自由で平和なウクライナを撮影したい。それが終わったら故郷である兵庫県明石に帰り、四季折々の資源を愛でながら、本当に美しいものを撮っていこうと思います。 世界から本当に争いごとや悲劇が無くなれば…。

Q5.『文化人・芸能人の多才な美術展』実行委員会

最後に、ファンの方々に向けたメッセージをお願いします。

A5. 宮嶋茂樹さん

戦争の悲劇を活字で説明することはあっても、写真で伝えられることは殆どありません。是非、美術展の会場に足を運んでいただけたら嬉しく思います。

■宮嶋茂樹 プロフィール

1961年5月生まれ。日本の報道カメラマン。 兵庫県明石市出身。 私立白陵中学校・高等学校を経て日本大学藝術学部写真学科卒業。 講談社フライデー編集部の専属カメラマンを経てフリーとなる。
東京拘置所収監中の麻原彰晃や、ロシア外遊中の金正日などの姿をとらえたスクープ写真を撮影。 また、世界の戦場を取材し、戦地の状況を写真として伝えている。